2014年9月5日金曜日


9月に入って秋が来たと喜んでいたのも束の間、
連日30℃を超える暑さです。
夏の揺り戻しとでも言うのでしょうか・・・

今月は72歳最後の月、
厳密にいえば、後3週間で73歳になります。

振り返れば、73歳になるまでには、
色々なアクシデントが降りかかりました。

2度のお産では、2度とも命をとられそうになり、
20代後半には交通事故で重体に陥りましたが、
奇跡的に助かり、
去年は4時間に亘る外科手術を受けました。

小学生の時は、湖でボートから転落して助けられ、
高校生の時は2階から1階まで、真っ逆さまに転落しました。

でも、いつの場合も、助けられてきました。
人は私を強運だと言ってくれますが・・・

人生には、確かに運・不運があるようです。
後10年ほど、運に見放されない人生を
歩ませてください・・・と、合掌。

2014年9月2日火曜日

9月1日・・・
待望の秋、来たるですね。
涼しくなりました。

物想う秋・・・
食欲の秋・・・
人恋しい秋・・・
73歳、私の秋はどうなるのでしょう。

何か始めたい!
そんな欲望に駆られて、
音訳のボランティア活動を考えています。

歌ももう少し上手になりたい!
それには、自己流で歌っていては駄目。
先生についてレッスンを始めることになりました。

カラオケにも行かなくてはなりせんし、
多忙の秋になりそうです。

それも、これも、健康でいられる幸せです。
今月末には男の子のひ孫を抱くことになります。
ヒイオバアちゃんの誕生です。

嬉しいやら・・・
悲しいやら・・・

2014年8月21日木曜日

年々、夏の暑さが厳しくなる。
これでは、とても歌を唄いに出掛ける気にもならず、
家で涼しく過ごしたが、何か遣り残したようで、空しい1日だった。

「The  Way  We  Were」・・・「追憶より」という歌を練習した。
とても難しい。
この歌を人前で歌えるようになるには、毎日1時間歌っても、
3か月は掛かるだろうか・・・

でも、いつか、きっと・・・唄います!

2014年8月18日月曜日

2・3年前の話しになる。
歌を唄いに行っていた先で、意気投合する女性に巡り合えた。
一生のベスト・フレンドになろうと、お互いにそんな約束を交わした。

彼女は歌歴が長く、声も良く、
素晴らしい歌を歌える人だった。
容姿に独特な風情のある人で、一見、夢二の絵の世界を感じさせた。

それからは、食事に行ったり、お茶をしながら歓談したりと、
女性同士ではあるが、蜜月のように楽しい日々が続いた。
彼女からは、まるで恋文かと思われるような、熱いメールが再三届いた。

でも、それも、1年とは続かなかった。
今となっても、その理由さえも定かではない。

ある時、彼女の仲良くしている別の友人に宛てて書かれたメールを
それを受けたその人から読まされる事になる。
私に見せてくれたそのメールの全文を読んで唖然とした。

その内容たるは、延々と私の悪口の限りが書かれていた。
なんで・・・あの彼女が・・・
とても信じられるものではなかったが・・・
残念ながら、総て事実だった。

そして、友情はあっけなく終わりを告げた。
それから3年が経ち、先日彼女から突然のメールが届いた。
癌の検査で腸に癌が見つかり手術するというものだった。

自分の犯した罪を懺悔するメールで、詫びに徹する文章だった。
何が原因だったのか・・・それは記していなかった。
でも、もういい・・・

人は誰もが罪人である。
一生に一度も罪を犯さない人間などいないのだから。
手術が成功して、又素敵な歌が歌えるように祈っているとメールを返した。

今頃は手術が終わっているかもしれない。
元気になって、又何処かでバツタリ出会って、一緒に笑顔で歌が歌えたらと、
密やかに願っている。
私はもう、彼女をすっかり許しているから・・・








2014年8月8日金曜日


よるべなき心細さよ電話してみようか。いないな乞ふな求むるな

             
作者は宮柊二の夫人で、大正6年生まれ、現在、94歳。

きょう一日、誰とも話すことなく過ぎてしまった。
子どもや友人に電話でもして声を聞きたいな。誰かと話したいな。
いやいや、止めておこう。
電話をしたところで寂しさが消えてなくなるわけでもなし、誰かに何かを求めるのはよそう。
たとえ子どもであっても頼ってはいけない。

老いの一人暮らしの心細さが伝わってくる。
けれども、「いないな乞ふな求むるな」に、寂しさと同時にかすかなユーモアが滲む。
老いの心意気とでも言おうか、しなやかな強さがある。

最近、上記の歌とその解説を目にした。
私より二まわり年上の女性の見事な生き方に感動を禁じえない。
これからの人生の師と思い、老いても独立独歩の精神で生きていこう!
悩み、迷いの生ずるこの年に素晴らしい歌に出会えて有難かった。

2014年7月28日月曜日


伊豆へ行くと必ず歌いに行くお店、「I」。

そこであるご夫婦とお友達になりました。

S様とおっしゃいます。

 

ご主人様は昭和11年生まれ、奥様は私より二つ年上です。

鎌倉に居を構えていて、伊豆赤沢に別荘をお持ちで、頻繁に

別荘へ来ているうちに、伊豆の方を本宅にしてしまったそうです。

 

ご主人様は三菱系企業の副社長をしていたそうです。

その風格が感じられるなかなかのジェントルマンでした。

奥様は別に音大を出てはいないそうなのですが、歌が好きで

若い時から歌を歌ってきているそうです。

ですから、素人ながら、歌を教えていて、生徒を15人も指導している人です。

 

今回、2年ぶりに「I」を訪ねましてママに「Sさんはお元気かしら?」と聞きましたら、顔を曇らせました。

「驚かないでね、スーさんは亡くなったのよ!」

「えっ! 」

私は耳を疑いました。

それはとても信じられない言葉でした。

 

先回と言っても2年以上も前になりますが、とてもお元気で、好きなお酒を機嫌よく飲んで、横文字の歌を流暢な発音で歌っていました。

奥様のことを「結婚した時は40キロしかなかったのに、今は70キロ、こんなデブになるとは知らなんだ!」なんて貶したりするのですが、でもその言葉の奥には愛を感じたりしたものでした。

 

お洒落で、肩まで伸ばした髪を後ろで一束に束ねていました。

外人みたいな作りでした。

皆から「スーさん」と慕われていました。

私が行くと、必ず「慕情」を歌ってくれました。

亡くなった原因は、カンシツ性肺炎だったそうです。

 

お店のママが電話して、私が来ていると言うと「スーママ」は駆けつけてくれました。

抱き合って泣きました。

まだ亡くなって2カ月しか経っていなかったのです。

悲しみも癒えていない「スーママ」でした。

その方が今回「ともしび」と言う歌を歌いました。

ご主人を想いながら歌ったに違いありません。

でも気丈にも涙は見せずに歌い切りました。

私も彼へのレクイエムと思い、「ともしび」を覚えて歌う気持ちになりました。

もうその日のうちにほぼ覚えて、二人で唄いました。

 

そして最後の日には、スーさんの十八番だった「慕情」を

初めて人前で、英語バージョンで歌いました。

ナット・キンコールで歌いました。

英語は大方分かりましたが、まともに歌えたか・・・

お店にはスーさんの指定席が用意されていました。

彼が座ったら似会うだろうと思う立派な革製のチェアーが

涙を誘いました。

でも、又、「I」に行けば、逢えそうな、そんな気がして・・・

 

 

2014年7月18日金曜日

体を悪くしてから、久しく伊豆を訪れることはありませんでした。
ここ3年ほど、夫一人に家の管理をしてもらっていました。

圏央道が全線開通したことで、自宅と伊豆の距離が1時間短縮して
3時間で行けるようになりました。
今回やっとその気になって、出かけてきました。

高原の風は、涼やかで、それは気持ち良く、庭の大きな大島サクラや
他の樹木をテリトリーにしている鳥たちの賑わしい囀りに迎えられました。
特にウグイスの大きな鳴き声が私の心を和ませてくれました。

これからは足しげく夫と来て、紺碧の海や伊豆の山を楽しみましょう。
先の見えだした人生ですので、色々楽しまなければ勿体無いですから。

今回は4泊5日で戻りました。
明日からは又歌が待っています。
伊豆のお友達から「ともしび」と言う歌を教わってきました。
矢代亜紀がまだ20代のころの歌のようです。

とても切ない歌で泣くまいと思っても涙で歌えなくなります。
でも明日は挑戦します。
絶対、泣かないで歌う! !