2014年7月28日月曜日


伊豆へ行くと必ず歌いに行くお店、「I」。

そこであるご夫婦とお友達になりました。

S様とおっしゃいます。

 

ご主人様は昭和11年生まれ、奥様は私より二つ年上です。

鎌倉に居を構えていて、伊豆赤沢に別荘をお持ちで、頻繁に

別荘へ来ているうちに、伊豆の方を本宅にしてしまったそうです。

 

ご主人様は三菱系企業の副社長をしていたそうです。

その風格が感じられるなかなかのジェントルマンでした。

奥様は別に音大を出てはいないそうなのですが、歌が好きで

若い時から歌を歌ってきているそうです。

ですから、素人ながら、歌を教えていて、生徒を15人も指導している人です。

 

今回、2年ぶりに「I」を訪ねましてママに「Sさんはお元気かしら?」と聞きましたら、顔を曇らせました。

「驚かないでね、スーさんは亡くなったのよ!

「えっ!

私は耳を疑いました。

それはとても信じられない言葉でした。

 

先回と言っても2年以上も前になりますが、とてもお元気で、好きなお酒を機嫌よく飲んで、横文字の歌を流暢な発音で歌っていました。

奥様のことを「結婚した時は40キロしかなかったのに、今は70キロ、こんなデブになるとは知らなんだ!」なんて貶したりするのですが、でもその言葉の奥には愛を感じたりしたものでした。

 

お洒落で、肩まで伸ばした髪を後ろで一束に束ねていました。

外人みたいな作りでした。

皆から「スーさん」と慕われていました。

私が行くと、必ず「慕情」を歌ってくれました。

亡くなった原因は、カンシツ性肺炎だったそうです。

 

お店のママが電話して、私が来ていると言うと「スーママ」は駆けつけてくれました。

抱き合って泣きました。

まだ亡くなって2カ月しか経っていなかったのです。

悲しみも癒えていない「スーママ」でした。

その方が今回「ともしび」と言う歌を歌いました。

ご主人を想いながら歌ったに違いありません。

でも気丈にも涙は見せずに歌い切りました。

私も彼へのレクイエムと思い、「ともしび」を覚えて歌う気持ちになりました。

もうその日のうちにほぼ覚えて、二人で唄いました。

 

そして最後の日には、スーさんの十八番だった「慕情」を

初めて人前で、英語バージョンで歌いました。

ナット・キンコールで歌いました。

英語は大方分かりましたが、まともに歌えたか・・・

お店にはスーさんの指定席が用意されていました。

彼が座ったら似会うだろうと思う立派な革製のチェアーが

涙を誘いました。

でも、又、「I」に行けば、逢えそうな、そんな気がして・・・

 

 

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