2017年3月9日木曜日

久しぶりに、ブログを開いてみた。
又、少しずつでも日常の出来事を書いてみようかと思う。

年の事は考えまいとは思うのではあるが、
1カ月に1回の内科通い、2週間に1回は整形外科通いと
医者のお世話にならなくてはならない体になってしまった。
これを老化現象というのであろう。

内科で精密検査を受けたところ、甲状腺異常・心臓弁膜症・
逆流姓胃炎・腎臓の数値が異常に悪い・高血圧症との判定が出てしまった。 
76歳ともなれば、仕方ないのだとは思うのだが、情けない。
こんなはずではなかったのに・・・

整形に至っては、膝関節の状態が悪く、人口関節に置き換える必要があると言う。
目の前に手術という恐い字がちらつく。
でも、どうしても手術はしたくないので、2週間に1回、膝に
高分子ヒアルロンサンという注射をしてもらって、どうにか凌いでいるのである。

私の歌の友、最強のツワモノが言った。
「痛いとか、辛いなんて言わない方がいいよ!
何を言ったところで、今の時代、女は厭でも90歳までは死ねないのだから。
黙って、頑張んなさい!」

なるほど・・・
そうか・・・
そのツワモノさん、私より2歳年上の78歳だとか・・・負けた! !

2016年2月3日水曜日



去年末の頃からか、胃と胸の辺りにムカムカ感と鈍痛を感じていた。
甘党の私であるので、チョコレートやお菓子を毎日のように食べているから
そのせいだと思ってほおっておいたのだが、夜中に寝られないほどムカムカしだした。
1カ月以上も続いたのでこれは問題だと思いクリニックを訪ねた。

翌日、胃カメラを飲む事になり、飲んだ結果は2か所に何か出来ていると言う。
細胞診の結果が出るのに1週間待った。

3人に1人が癌になり死ぬ時代なので、「私もいよいよ癌になったか!」と、
覚悟を決めた。
ここ2年の間に実兄を癌で送り、実姉も癌の手術を受けたので、私に番が来ても
不思議ではなかったから。

手術してもらう病院も決めて、それに備えていた。
そして、結果が出た。
「2つとも胃潰瘍でした!」
薬で治りますとの説明だった。

緊張は解けたが、飛び上がるほどの喜びでもなかった。
74歳5カ月という年齢の達観みたいなものがあったのだろうか・・・

老いて自分の体もままならなくなった老人達は口を揃えて云う。
生きているのは苦しい、辛いと・・・


ほどほどの所でサヨウナラもいいのかな~~~~ナンテねっ!


2016年2月2日火曜日


「小川」と言う駅の待合室でのことである。
待合室は暖房が効いていてガラス戸1枚外とは
段ちがいの暖かさであった。

ホームに電車が入ってくるまで、僅か5分待ちであったが、
ホームを吹き抜ける寒風に辟易としていた人々は競って
待合室に入っていく。
私もそんな一人であった。

待合室には12席ほどの椅子があり私には座れる席があった。
座っている殆どの人はスマホを広げて皆無表情のまま、
目と指だけが器械的に動く。
血の通わないロボットのようであった。

そこへ一人の風采の上がらない70歳くらいの男性が待合室に
入ってきた。
口元に笑みを浮かべ大きな声で云った。
「外と中とは大違いだね!
ここはアッタカイ! !」

しかし、誰一人として、その男性に目を向ける者はなく、
私だけが彼に目をやり一人頷いていた。

いつの頃からか、人間は総じてスマホやらに支配されてしまったようだ。
老いも若きも、電車の中でも何処でも、相手にしているのは、スマホ、ケイタイである。

家に帰れば、夫はパソコンの前に何時間でも座っている。
一体、人間はどうなるのだろう・・・

2016年1月30日土曜日


2016年1月も明日で終わる。
早、12分の1が過ぎ去ってしまったのだ。
疾風のように過ぎて行く時間
なのに貴重な時間を何も有効に使ってはいない。

暇をもてあそぶ・・・
暇つぶし・・・
そんな意識の中だけで日々生きているのが空しい。
75歳の老人なんてそんなものだよ!
元気でいられるだけでもメッケモノだよ!
今更何か出来るのか?
好きな歌でも歌って朗らかでいれば、息子達も安心してくれているが・・・

若い時には大いなる希望と目標があった。
欲もあった。
仕事にまい進した。
あの頃がやたら懐かしい。
あの頃の自分が誇らしい。

今は消費だけに精を出す私である。
夫も又、然りではある。

2015年7月25日土曜日

あるカラオケ店(歌の上手い人が集まる有名店)で、
Y子さんと言う方とお友達になれた。

私もかれこれ歌を唄って4年になるので、
最近は少しマシな歌が歌えるようになってきている。

自分の歌の進歩を知るためにも、
月に1回くらいシダックスに籠り、採点を出して
歌の程度を自覚するようにしている。

そのY子さんの歌は、誠に素晴らしく、その独特な声と発声
そして表現力、どれをとっても、一流中の一流なのである。
ただただ、聴きほれて、私もいつかはあんな風に歌いたいと
憧れと尊敬の念をもっている。

しかし、Y子さんの私の歌評は手厳しく、何を唄っても、
「駄目だ!駄目だ! 気持ちが悪くて聞いてはいられない!」とくる。

ある歌を歌った時は、それは私の歌だから歌うなと言う。
貴女には合わない歌だから歌わない方が良いと言う。
しかし、その歌をシダックスで採点すると90点という、
高得点が出るのである。

Y子さん評が正しいのか?
シダックスの器械採点が正しいのか?
悩ましい想いになる。

でも、余り、貶してほしくないな~~~
楽しいはずの趣味の歌を唄うのが怖くなってしまうから。
もうすでに、自信喪失に陥っている。




2015年7月24日金曜日

梅雨が明けた。

毎年の事だが、梅雨が明けると大仕事が待っているのだ。
伊豆の180坪ある別荘の庭には、夏草が生い茂り、
夫の腰位の高さにまでなる。
その草刈り作業が、梅雨明け一番の仕事になる。

そして、昨日、二人でやってきた。
到着前に夫が言う。
「草はどの位の高さにまでなっていると思う?」
「そうね、貴方の膝上くらいまには伸びていると思うわよ」
「そうか・・・膝上か・・・」

ため息まじりでもないが、その草刈り作業を夫が一人で
見違えるように綺麗にしてしまうのが、常のことなのである。
そして、到着すると、案の定、庭一面は夏草の海のよう・・・

4時間の運転で疲れているのだろうに、車から荷物を下ろすと、
すぐに作業にとりかかった。
夫は合理的な人であるので、そこは器械を取り入れてり能率的な
仕事をする。

夕刻まで、汗ダクで重い器械を肩に掛け刈り取っていった。
全作業の30パーセントは終えてしまったようだ。
72歳のお爺さんとは思えない働きぶりには・・・
年下の夫も、いいじゃんか・・・とほくそ笑む、
74のお婆さんなのである。




2015年7月20日月曜日

兄が死んだ
5歳年上の兄は
享年78歳だった

豪放磊落のように見えるが
神経細やかな 優しい男であったと
他人は皆 口を揃えて云う

死に顔は 今まで見た事のない
別人の顔をしていた
偉くなった兄なので
構えて 気負って いたのだろう

重い 鎧も兜も脱いで
重圧から解き放たれて
さぞかし楽になったのだろう

ねえ、お兄さん
来世はもう 社長業はいいでしょ!
競争と名誉と権力の世界は生きにくかったでしょ!

少年の頃から医者になるのが夢だったのに
実業家になった お兄さん
次の世は貴方の本当の夢をかなえて 
医者になって
命をみつめ 助ける人になってください。
その方が似合います・・・

さようなら・・・さようなら・・・さようなら!
又、そのうち・・・あちらでね・・・

「頬こけて 肉そぎ落ちた 躯には 兄の面影 何もかも無く」