伊豆へ行くと必ず歌いに行くお店、「I」。
そこであるご夫婦とお友達になりました。
S様とおっしゃいます。
ご主人様は昭和11年生まれ、奥様は私より二つ年上です。
鎌倉に居を構えていて、伊豆赤沢に別荘をお持ちで、頻繁に
別荘へ来ているうちに、伊豆の方を本宅にしてしまったそうです。
ご主人様は三菱系企業の副社長をしていたそうです。
その風格が感じられるなかなかのジェントルマンでした。
奥様は別に音大を出てはいないそうなのですが、歌が好きで
若い時から歌を歌ってきているそうです。
ですから、素人ながら、歌を教えていて、生徒を15人も指導している人です。
今回、2年ぶりに「I」を訪ねましてママに「Sさんはお元気かしら?」と聞きましたら、顔を曇らせました。
「驚かないでね、スーさんは亡くなったのよ!」
「えっ!
」
私は耳を疑いました。
それはとても信じられない言葉でした。
先回と言っても2年以上も前になりますが、とてもお元気で、好きなお酒を機嫌よく飲んで、横文字の歌を流暢な発音で歌っていました。
奥様のことを「結婚した時は40キロしかなかったのに、今は70キロ、こんなデブになるとは知らなんだ!」なんて貶したりするのですが、でもその言葉の奥には愛を感じたりしたものでした。
お洒落で、肩まで伸ばした髪を後ろで一束に束ねていました。
外人みたいな作りでした。
皆から「スーさん」と慕われていました。
私が行くと、必ず「慕情」を歌ってくれました。
亡くなった原因は、カンシツ性肺炎だったそうです。
お店のママが電話して、私が来ていると言うと「スーママ」は駆けつけてくれました。
抱き合って泣きました。
まだ亡くなって2カ月しか経っていなかったのです。
悲しみも癒えていない「スーママ」でした。
その方が今回「ともしび」と言う歌を歌いました。
ご主人を想いながら歌ったに違いありません。
でも気丈にも涙は見せずに歌い切りました。
私も彼へのレクイエムと思い、「ともしび」を覚えて歌う気持ちになりました。
もうその日のうちにほぼ覚えて、二人で唄いました。
そして最後の日には、スーさんの十八番だった「慕情」を
初めて人前で、英語バージョンで歌いました。
ナット・キンコールで歌いました。
英語は大方分かりましたが、まともに歌えたか・・・
お店にはスーさんの指定席が用意されていました。
彼が座ったら似会うだろうと思う立派な革製のチェアーが
涙を誘いました。
でも、又、「I」に行けば、逢えそうな、そんな気がして・・・